Translating Nature

 「Translating Nature」mischer’traxlerとの対話

2021年3月13日

17:00 – 18:00  プレゼンテーション
18:30 – 20:00  mischer’traxler(オーストリア・ウィーン)と会場(東京)とのディスカッション(オンライン) 

プロフィール : mischer’traxler studio

オーストリア、ウィーンを拠点に活動するカタリナ・ミシェールとトーマス・トラクスラーによるデザインチーム。実験や文脈作りやコンセプトメイキングを大切しながら、プロダクトや家具、インスタレーションなど多岐にわたる分野で活躍。その作品は様々な美術館や国際展で展示されているほか、アート・インスティチュート・シカゴやヴィトラデザインミュージアム、MUDACローザンヌ、MAKウィーンのコレクションに。デザイン・マイアミ/バーゼルとW-hotels「デザイナー・オブ・フューチャー・アワード」(2011)、Be-open foundationの「ヤング・タレント・アワード」(2014)、最近ではウィーン・デザイン・ウィークでの「スワロフスキ・デザイン・メダル 2016」を受賞。

ー あなたがたのプロジェクトでは「Intangible」という言葉が大切なのですね。もう少しこの考え方について説明していただけますか?

T:「intangible(実態のない、つかみどころのない)」な要素やプロダクトはますます重要になってきていると思います。「intangible」な情報とは、コマーシャルな側面から言えば誰がどのような状況で作ったかというもの。でもアーティスティックで哲学的な側面から言えば、ものの基本的な機能だけではなくてコミュニケーションやストーリーテリングの要素でもある。さらに機能のなかにコミュニケーションに関する情報が含まれていることもある。私たちはこれも「intangible」なことだと思うんです。消費者や所有者がものとよりよい関係性を築くことができ、ものが素材感やベーシックな機能だけではない価値を帯びてくる。

ー その大切さは理解できるのですが、なかなか翻訳しづらいですね。

T:ドイツ語では「BEGREIFEN」です。「触れながら理解する」という意味。二次元の要素(数字のような)が三次元になるようなイメージで、ボリュームを持つとより深く関係することができるのです。たとえば蛾のオブジェを作ったプロジェクト(one room-one spieces)があります。1200という数字は、頭で理解しようとするとただ単にたくさんというイメージですよね。でも実際に1200の蛾を部屋のなかで具体的に表して、立体的に見てみると、その数字が示す感覚をよりよく掴み取ることができる。数字だけで理解するのとは違った関係性を築くことができるのです。スロヴェニアの石工と行った比率のプロジェクト(ratio)もそうです。例えば鉱石とそこから抽出されるたった2.2%の重さにしかならない銅があるとします。その重さを手で触って確認することができれば、その小ささとの関係性を築くことができますよね。私たちは統計や情報を感情的な方法で示すことが大切だと思っています。そうすると突然、数字が理解できるようになるから。

(比率のプロジェクトについて)産業で使った石はどうなるのでしょうか?

K:通常は石を取ったら粉砕して、それを分解します。金属を取り出すために加熱した残りは残滓になります。一部は埋めてしまいますが、二次的に生み出されたもののほとんどは有害な汚水になります(有名なのはアルミニウムが入った赤い泥のようなものです)。

T:スロヴェニアの亜鉛の鉱山にも行きました。鉱山の後ろは人工的にできた砂利の山になっていて、もう鉱物を採取できなくなっています。何年も前に採取はやめてしまって、残った砂利をコンクリートやアスファルトに混ぜて使っているのです。100年ほど前に掘り始めたのですが、今になって残った砂利を捨てたり積み上げたままにしておくのではなくて、その価値を理解して使わなくては、と思うようになってきたのでしょう。産業にとってよい展開だと思います。

鉱山に関する数字はあまりにも大きくてほとんど理解できません。ブラジルにある最大の鉄の鉱山なんて、1日に247,000トンもの鉱石が発掘されているというのですが、もうその数字を聞いてもピンとこないほどです。

K:私たちのプロジェクトは石や鉱物のなかにどのくらいの金属が含まれているかを問題にしていて残滓の量ではありません。たったひとつのネジを捨ててしまうことを考え直して欲しいのです。それは地面から掘り起こされた石を精製して、加工したものを捨てるということです。地面から掘り起こされる量との関係性を捉え直してほしい。プロセスの後に残る砂利よりもこのことが主なメッセージなのです。素材のサイクルを考え直して、リサイクルがいかに理にかなっているかを考えることです。

-          世界には育てられるものがあるけれど 、さもなくば掘らなくてはならない。シンプルだけど、衝撃的な言葉ですね。どこでこの言葉を知ったのですか?

K:スロヴェニアの地質学研究所の所長と話していたときに出た言葉です。地質学的な問題は退屈だと思っていたのですが、所長と話しているといくつも哲学的な疑問が出てきて刺激的でした。地球の年齢を考えてみると、すべてがプロセスのなかにあるからこそ数十億年の時間軸で物事を考えないといけないということ。石が何百年を経てどのようにさまざまな大きさになるのか、砂がどうやって石になって、逆に石がどうして砂になるのか。考えてみるとものすごいことです。地球が常に循環しているなかで、私たちはたった一瞬のことでしかない。彼が言っているのは地面から取るか地面で育てるか、その間はないということ。彼の言う通りです。

T:このプロジェクトが終わったあと、すべてが違って見えました。金属の使い道について気を遣うようになって、金属類はすべて専用の回収ボックスに入れるようになりました。粘土はもともと石で、それが人間の手によって精製されて混ざり合って違う素材になるということにも気がつきました。道を歩いていて建物を見ると石やコンクリートやタイル、ガラスでできている。こういうものはすべて地面から掘り起こされてできているのです。以前はそんなこと考えてもみませんでした。金属はただ原材料だと思っていたのです。金属棒のようにね。

K:結局はシンプルでロジカルなことを明らかにしているのです。知っているようだけど、忘れていることを。

-          掘り起こすものよりも、育てるものを作る予定はありますか?

K:私たちが過去にやったことがあるのは、アルミニウムを作り直すために、どのくらい廃材が必要なのかを示すプロジェクト(inWASTEment)です。ほんの少しのアルミニウムを得るために、どれほどの都市鉱山が必要かを表しています。例えば木材の床材は木肌が見えているから木を想像しやすい。でもわかりにくくても育てて作る素材はあります。ブランケットに関するプロジェクト(Knowledge, tools, memory )では、羊がいてその毛を刈って紡いで毛糸にして、それから編むという工程をブランケットそのものに示しました。

K: 同じプロジェクトで紙をつくるプロセスを説明するスケッチブックも作りました。紙になるまでにどうやって素材が変化していくのかがわかるようになっています。実はもともとこれは3Dプリンティングの宣伝として作ったのです。近い将来、家に帰ってからその日に見た展覧会や記事を全部プリントアウトできる日がやってくるかもしれません。私たちは3Dプリンティングにもよい側面があると思っていて、反対ではありません。昔は農家ではなんでも自分たちで作っていたのです。それをやらなくなってしまったのには理由がある。だからブランケットを実際に作って、そこに工程を示すと面白いのではないかと思いました。羊がいて、毛を刈って羊毛にして、毛糸を作ってブランケットにする。紙でもそうです。草をとってそれを切って紙にする。実際作ってみると普段使っている紙とはかけ離れたものができあがる。家にあるものは必ずなんらかの素材からできているけれど、どれも洗練されているから最初はどんな状態だったのかわからないのです。

K:ブランケットの原材料は羊から取ったウールですが、コットンや麻のような素材でも同じことです。スリーブには道具がすべてセットされていてもう一度作ることができる。ここで言いたいのは知識が必要なのではなくて、それを作るための道具が必要だということなのです。

T:日々、当たり前のように使っている一枚の紙にどれだけテクノロジーや工夫が凝らされているか考えることはしませんよね。だからブランケットとか紙とかベーシックなものに注目したのです。これが私たちが作った紙です。実際に草を育ててつくったのですが、普段見る洗練されたものからは程遠いですね。スケッチブックは金属のトレーがついていてその中に工程が示されている。そのトレーをつかって紙を作ることができるようになっています。スケッチブックの裏側に付属のベーシックな道具をつかって紙を作る方法が描かれています。これは3Dプリンターを考え直すためのプロジェクトです。機械を使うのがただ単に悪いわけじゃなくて、知識を持ったうえでツールとして使うのが重要だと思うのです。

-          社会的なプロジェクトに取り組むこともありますか?

K:世の中に出回っているものがどこから来ているのか、私たちはほとんど知らない、このことにデザイナーとしてショックを受けました。だから素材に関することが今の課題になっています。社会的なプロジェクトもしたことがあります。人手を使ってラグを制作している会社と行った労働を考えるためのプロジェクトです(day-by-day rug)。ネパールで手織りのラグを作っている職人さんと共同して行ったもので、一枚のラグを作るのに何日間かかるのかわかるようなデザインになっています。労働時間に対応しているのです。細胞のようなグリッドのひとつが1日の労働を表していて、職人さんには毎日違う色を使うように伝えます。そうしてラグを織っていくと日々の作業がラグに記録されていく。大きかったり、小さかったり。それぞれの線がひとりの職人さんが1日に織るラグの労働時間を表します。消費者や観客がこの線を数えると、ああ、この人は22日間このラグのために働いたんだな、とわかる。でも、これは織る作業だけの話です。ここには羊毛を用意して紡ぐ時間は入っていません。それから一枚のラグに対して一人か二人の職人さんが関わっていることもあります。通常、タグには誰が作ったかという情報と作り始めと終わりのタイミングが明記されています。

T:このラグは120センチの幅でたった一人の職人さんが作ったもの。大きなものは二人で作ります。これをミラノ・サローネで展示したとき、あるお客さんからこんな質問がありました。

「こうやって1日あたりの労働量を見えるようにしたということは、もっと早く作業をしなくてはならなくなったということですか?」

この質問には混乱しました。もともと考えていたことと全く違うから。ラグの会社のオーナーにそのことを伝えると、彼の答えはこうでした。

「早く仕事をする必要はないんです。職人たちは自分たちの仕事がいかに早いか、もうわかっているはずですから」

このプロジェクトで面白かったのは、もの自体にトランスペアレンシー(透明性)が付加されていることです。職人さんがどれだけ早く働かなくてはならないか、という労働と労働時間に関する問題を提起しています。人々はそれを見て考えさせられるだろうし、他のラグに関しても同じことを疑問に思うと思います。

-          デザインを通じて難しいことをわかりやすく説明していることに共感します。プレゼンテーションでは「自然」という言葉を使っていますが、とても大きな考え方ですよね。「自然」をどう定義しますか?

K:良い質問ですね。ちょうど私たちは今、生物多様性に関するプロジェクトに取り組んでいて(Embodied Nature)、自然についてもう一度考え直そうとしているのです。ある哲学者が、私たちの言語には「自然」という言葉があるけれど、先住民の人々の言語にはそんな言葉はない、と言っていたのが面白いと思いました。「自然」を切り離さないのです。今のところその代わりになるものはまだ見つかっていません。自然を定義するのは難しいことです。あるいは定義さえしたくない、という気持ちも・・・。

T:「自然」という言葉を仮定した瞬間、そこから人間を除外することになります。でも、人間を人間として捉えるのではなくて、生物の領域の一部としてとらえることが面白い視点なのではないかと思うのです。この小さな生物の領域のなかにいるものが、さらに大きな領域の中に取り込まれている。今のところ、二つの点で考えあぐねています。ひとつは自然とは何かということ。でも、それに変わる言葉に出会っていないので説明できません。それから、人間をこの大きな絵図のなかのどこに配置して、そのことをどう伝えるのか。人間を取り囲む生物の組織のなかに統合するために、どのように私たちの視点を変えていくのか。そのためには人間は自然に囲まれているというヒエラルキーを取り除いて平等にしていかないといけない。そのことを論理的に考えることにもがいているのです。

-          それをどうやって人々に伝えるのですか?あなたが自然の一部だったら質問さえできないですよね。

K:難しいです。学校で教えるなかで、「Rewildering」という考え方について取り組んでいます。自分たちを人間ではない生命と考えて、種の間が混じり合うことをデザインするという課題です。アドバイスをしながら、自分の視点を取り出したところで生物がどのように反応するかわからない。複雑なトピックでまだ答えが見つからないのですが面白い流れだと思います。とにかく問題のなかに身を投じる。外側から眺めているのではなくて。

T:なにかをケアするという考え方にも興味があります。ケアをする人という立場になると、解決方法をわかっている人という立場にもなって急にヒエラルキーが生まれる。

K:人類にとって、この問題を解決するにはあと100年かかるでしょうね・・・

-          今お話しされている内容は、人新世という考え方に繋がりますね。。

T:突然、話しやすくなります。人新世という時代にいることを前提にするとイメージが湧きますね。比率のプロジェクトでなぜ私たちがこんなに世界を変えているのかと考えたとき、ひとつのエレメントを取り出してみると急に全体の風景が変わって見えました。切り離されているわけではないのです。

-          人工的な自然(Artificial Nature)についても話していましたよね。本当に人工的なものはない、という世界の見方は面白いと思いました。

K:自然の力、惑星のライフスパンに目を向けながら、どこまで物事は変わっていかないといけないのか、同じ惑星にあるのなら人工的とはどういうことか。そう考えながら自然と人工のものが部分的に共存しているものを「Nartificial」と呼ぶことにしました。もちろん自然のサイクルとは関係なく、人間は素材を変えていきます。原材料が自然のものとされるのなら、どの時点で人工になっていつ自然に戻るのか。それには答えがありません。でも「Nartificial」という言葉を通して物事を考えることに興味があるのです。若いころ海岸の掃除をしていたとき、ガラスのボトルのなかにタコが入っているのを見つけて、この問題に直面しました。矛盾しているのですが、このゴミを取り除きたかったらタコをなかから出さないといけない。人間が作ったものが惑星の一部になって変化しているのです。もちろん人工的なものは自然物にはならないけれど、機能が変化して影響していく。答えがなくてもこんなことを考え続けているのです。


T :「Nartificial」という言葉を十分に消化しているとは言えません。次々と違うレイヤーが見つかってまだそれを特定できない。でもそのことに興味があるのです。

-          あなた方のデザインは人々を巻き込みながらできていきますね。

T:参加型のデザインで面白いのは、見た人が瞬間的に本質をついたリアクションをすることです。まさに正直なリアクションです。もう一つはプロジェクトのなかにエモーショナルな反応が取り込まれると、それが機能していく。相手なしにはデザインは成り立たないのです。たとえば、近づくと植物が現れるインタラクティブなプロジェクト(Ephemera)ではこんな反応をする人がいました。

「私って毒?」

この短いリアクションこそが面白いのです。

K:いつもひとつの考えに対してひとつのオブジェをデザインします。リサーチだったり、考えを表す本だったり。でも大抵、最終的なオブジェはメッセージを伝えることを目的にしています。なので、プロセスが大切だけれどそれは自分たちのため。理想的にはものは同じストーリーを持ちながら自立していてほしい。

-          もともと問題に向き合うことをデザインのアプローチの主軸としていたのですか?それともやっていくうちに発展していったのですか?

K:大抵、トピックからはじめて、その周りにあるものを調べます。それから伝えるべきこと、オブジェにする価値のあるものに少しずつ消化していって、見る人に向けて表現する。だから大抵、プロセスから生まれるのです。どの側面から物事を見ているのか、ということが重要です。石のプロジェクトを始めたきっかけは、スロヴェニアの美術館のひとが「石工と一緒に仕事したい?」と投げかけてくれたからです。石を見ながら少しずつ話すうちに、石が大きな塊以外のものに変化していくということを私たちはほとんど知らない、と気づいていったのです。こうしてものやトピックからメッセージを受け取っているのです。

K: トピック、またはブリーフィング、もしくは小さな発見。それはタイミングやクライアント、施設など、どういう人たちと仕事をするのかということによって全然違います。

T:僕たちは自由なアプローチをさせてくれるよいクライアントに恵まれてきたと思います。トピックを選ぶことができることこそが大切なことなのです。